2025/10/31 12:00

「日本銅版画の種まく人」銅版画師・菅野陽の没後30年展
「⽇本銅版画の種まく⼈」とは、2000年に不忍画廊で開催した「銅版画師 菅野陽遺作展」図録において、美術史家の⽯渡尚⽒にご寄稿いただいた⽂章の表題です。東京美術学校(現・東京藝術⼤学)⽇本画専攻卒業後、⽇本アンデパンダン展、⾃由美術家協会展に油彩画を出品していた菅野陽は、1954年に関野準⼀郎が⾃宅で開いていた銅版画研究所で⼿ほどきを受けたことをきっかけに、銅版画の制作にのめり込むようになります。⾃由⾃在に銅の肌を刻み、⾦属という材質や「もの」そのものの凄まじさを⽰すような作品は、戦後まもない⽇本を代表する銅版画家(駒井哲郎、深沢幸雄、⻑⾕川潔、浜⼝陽三、浜⽥知明ら)と名を連ねるようになります。1962年には⽇本初の銅版画技法書『銅版画の技法』(美術出版社)を著すなど研究者としても名を残し、多くの銅版画家の指針となりました。
不忍画廊では2000年「銅版画師 菅野陽遺作展」、2001年「腐⾷銅版画の魅⼒–菅野陽×⼭⼝啓介」、2005年「菅野陽×⼤島哲以」などを開催してきました。没後30年を迎える今展では、新たに⼊⼿した1950〜60年代の銅版画や貴重な初期油彩作品などを展示。展覧会がその画業と研究の再評価のきっかけとなり、未来の銅版画家たちの糧となることを願います。
菅野 陽 Sugano Yo(1919–1995)
1919年台湾生まれ。東京美術学校日本画科卒。
戦後に丸木位里・俊、山下菊二らと前衛美術会を結成。関野準一郎との出会いから銅版画にのめり込み、東京国際版画ビエンナーレ展等の国際展に出品。著書として1962年に日本初の『銅版画の技法』(美術出版社)、『日本銅版画の研究 近世』『江戸の銅版画』等、研究者としても名を残す。1995年、茅ヶ崎市にて永眠。
【没後の主な展覧会】
「菅野陽回顧展」(1996 平塚市美術館)
「銅版画師 菅野陽遺作展」(2000 不忍画廊、ギャラリーNOW)
「生誕90年 銅版画家・菅野陽 −創生の海−」(2009 茅ヶ崎市美術館)
「菅野陽と浜田知明 銅版画の夜明け前」(2025–26 茅ヶ崎市美術館)
【コレクション】
茅ヶ崎市美術館、平塚市美術館、東京都現代美術館、ニューヨーク近代美術館、オレゴン大学美術館 ほか
〈没後30年 菅野 陽 1919〜1995〉
会期|2025.10.31(金) – 11.8(土) 12:00–18:00 ※休廊日:11.3(月祝)・4(火)
会場|不忍画廊 (〒103-0027 東京都中央区日本橋3-8-6 第2中央ビル4階)
*同時開催:“藤浪理恵子 Fujinami Rieko Works 2017–2025”
会場|不忍画廊 (〒103-0027 東京都中央区日本橋3-8-6 第2中央ビル4階)
*同時開催:“藤浪理恵子 Fujinami Rieko Works 2017–2025”